20171208

トレーナーの役割|Role of Trainer


「指導歴」という言葉をクチにすることは 1度もなかったかな? 実質的には 1998年に医療機関へ派遣され 施術者への講義と臨床の指導 トレーニングをしたことからだとすると もう 20年も経ったってことになる まあその内 当初の 10年は道場破り?修行しながら(7年間の足跡)この期間が僕の魂(Spirit)かな まあ「負けたくない」と 勝つまでと どっぷり漬かってしまい 自転車界へ戻ってこれなくなるかと想った(笑) まだまだ修行は足りないんだけど 僕の知識と技術の基 基盤を創った期間ってことになる そんなのを指導歴と言うのか 言えるのか? 振り返るとしたら『闘ってきた経歴?』ボク的にはそんな想かな!

5年前に発症した腰椎の裂傷 初めて味わう「悶絶」まぁ~人の痛みを身に染みて? でも闘いの手 緩めるわけにはいかない! このタイミングでビアンキカフェでのセミナーの定期開催(月1回)が始まり 後半より「練習クラブの1期生」立ち上げて 先の視えない悶絶と闘いながら 2年間は手が着けられず(治療の)覚悟もできず まだ脳が治療へ向かない日々が続き「往生際」悪く 3年目にようやく覚悟を決めて 辿り辿って医師 病院 治療院巡りをかさね 結局は「治療に関しての修行の(学ぶ)日々」となり『頼れる場所は無い!』と結論が明確に解ったことは ボク自身の技術を磨き研ぐことで自身の臨床をすればいいとの結論へと導かれ 自力で治療を開始して今年で 3年目(悶絶から 5年)『やることは決まっている』この検算ができたことも マジで貴重 僕は非常に運がいい

「24個の脊椎(背骨)を 1個1個の診なおしから始める」同時に「股関節」「胸鎖関節に吊るされているローテーター」600部位の筋肉と200個の骨 300か所の関節を立体的に脳で描き映す その動きを触り視て診る トレーナーとしての力量が試される根幹だ! そこに「個性(ココロとカラダ)」があり「性格(想いや望みを含め)」の存在と「コミュニケーション」を獲ることができ その結果に確実につなげることで パーソナルトレーナとしての称号を名乗ることができるのかと僕は想っている

こっち(自転車界)に戻って来たものの いつまで経っても 自転車選手と選手のカラダを診るトレーナーの実用性とがつながらず そっちもこっちも低いレベルの衰退が続く 僕がいくら訴えたって魅るところがまるっきり違うんだからしかたない? もうつまらなくなってきた! もう飽きた? じゃあ 今度は別なポジションでコンチネンタルへ挑戦しに行こうかと考える フフフ

まあもろもろ 企みつつ まります!


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