20180908

才能は自分の「ヤル」で決まる


道志みち(津久井から山伏峠)での練習・・・ 東京オリンピックのコースに設定された山岳ポイントでもある地で しかもウエット 少し前のことだけど想いだす

このちょうど1年前からのつき合いになる TVのお仕事! 当初は「レース」 今回は「ロングライド」依頼内容は まぁ~厳しい? だから僕が選ばれている? そもそも自転車レースは「時間が掛かる」時間を掛けなければ どうにもならないことばかりで そもそもの下地(地脚)総体的な基礎が身に着いていなければ話しにならないことの 理論的な説明 製作P(プロデューサー)とも そのへんの話しは徹底的に説明したうえで「僕のやり方」でやることを納得(当然だけど)じゃなきゃ僕は請けない(妥協はしないので) この練習場所も僕が指定して そんなヒトコマ しかしジミだ(笑)

『チギレる時は自分で決めてる』多くの意味を含む言葉なんだけど 概ね「2つ」①キツクて離れるメンタル面 ②内臓と筋繊維の限界となる練習面 ともに深い意味はあるものの もっと単純に言えば 限界域での練習(時間と内容)ができていれば「キツイ」限界域は無限で さらに言うなら「勝ちたい」とか「負けたくない」と想う気持ちの領域の問題で『限界域』はどうにでもなる! ようは「できるかできないか」「やるかやらないのか」厳しい言い方をするなら「やれるのか やれないのか」 このことも「自分で決めている」ことだ! 僕らは「勝った負けた」を シロクロ勝負する競技をやっている訳で やれなければ できないんだったら それが才能ってことになる 

「負けず嫌い」とは 負けて泣くことではない 悔しい気持ちを表現することなどもありえない(恥) 負けず嫌いとは『勝つまでやる』 勝てるようになるまで 勝つために必要なすべてをやり 勝つまでやる・・・ プロに至っては「勝ち方にこだわる」“観ている人達が思わずこぶし握る” 魅せる仕事が求められるってこと

「プロフェッショナリズム」プロ意識のことだと僕は決めている 定められた何かがある訳ではなく 魅せるとができなければ意味を成さないことは言うまでもなく どう観えているかではなく なにを魅せたいのか・・・!

コーチやトレーナーを永くしていると 見解の同調ができない場合もあったりとで離れていく場合もあるけど ボク的には「1度でも指導した選手(練習やトレーニングでも)」は『ずっと教え子』だ でも間違っても 僕から「教えさせてください」などと言ったことは 僕から言うことはない!『俺から「教えさせてください」なんて言わないからな・・・』 まあ そんな場合は性根からになるけど フフフ

才能は自分の「ヤル」で決まる


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