20241022

Base Meeting / 2025季 戦略会議:山中湖サイクリングベース


ベースでのイベント「2day's」 本来は宇都宮にいなきゃいけない選手とのミーティングも Live(Japan Cup_1.Pro)ケーススタディ説きながら フフ

東京港区のスタジオ 仲間のいる沖縄県石川白浜 そしてこの山中湖サイクリングベース「オマエはいったいどこに住んでるんだ?」と度々『3拠点それぞれに住んでいます』そう回答している まあどこも寝泊まりすることには困らない 無駄なく移動もサクサク この日も気心知れた仲間たちとすごす時間は至って至福 課題を説く作業も有意義で 脚基の確認もしてきた

山中湖サイクリングチームの「母体」まさに『ベース(base)基』今季の整理と来季の準備外画の打ち合わせ 今季から試行した「マスターズ選手」2025年からは正式に発足することになり まあ「元プロ選手」または「かつてプロを目指していた元選手」GMからは『入りたいって言ってくるサイクリスト全部とっちゃえ』って まあなので基本「真剣に」であれば 育成チームなので ゴッソリ育てる方針で募集する 習いに来てください


2004年組  Morgado(-2028 UAE)2003年組 del Toro(-2029 UAE)2002年組 Ayuso(-2028 UAE)U23より複数年WTと契約 スロベニアの "カンニバル"(cannibal)モンスター予備軍 いや既にモンスターだよな コイツラ ジュニアの段階で「カラダの準備」創ることができているので 伸びて行く過程の早熟(緻密な分析の基)選手の育成を測り こんな奴らの出現から ジュニア(U19)の「ギア比制限」が取っ払われた訳で また今季ジュニア 2006年組 Albert Philipsen(-2028 Trek)来季からの契約 また別にジュニア 1年目で翌々年からコンチ2年その後WT5年契約が決まっている(プロに入る前から8年間の経路)経路を確保されプロの環境で育成される選手まで現れてきている この事実にはデータの分析とカラダを診る理論が説かれ精度とアップデート 単なる数値だけではなく まだ未熟な選手へ「間違わないよう」確実に専門のスタッフにより 根性論を含むメンタル面からの「育成」確実に履行する ココには決して選手を甘やかすことなく闘うための プロとしての厳しさ アシストとしての実力 チーム内のレギュラー争いを表立って挑むことができる環境を教える訳だ 

そうそう2019年(当時マトリックス)Orluis(1996 Venezuela)来季2025 Movistar(WT -2026)2年契約 当時1季だけ日本国内で勝ちまくり翌年スペイン(PT セグロスRGA)サクッとプロ入りしている 日本の環境から欧州のプロが出ている証し 一概には言えないけど こんなことも言われている「どこからでも選手は生まれる:GIUSEPPE SARONNI(現UAE)」(中学の時に魅てレースを始めたプロ)

UCIレースを今季から走っている「U23_1」選手と話す 迷いと焦り 答え合わせと検算 モタモタしている時間はない ただ確実に必要なフィールド その環境で走っている事実 まあウチには専門のスタッフがそろっている オレら(チーム)もプロの集団なので 選手から選ばれる側でなきゃならない(まあそれは選ぶ側の)ある意味これは選手の資質を意味することになる

欧州と同じ(育成)ではダメなんだ 欧州の歴史から続く伝統を アップデートした理論の基 日本人のカラダとメンタルを測り その環境を創り育成する まあ幾度となく唱えている訳で 結論は「最初っから行け」これに尽きる 全ての意味がココにある 結局は欧州と同じだけど ココから始める理論 至って単純だけど経路を踏ませる 選手が自ら踏みに来る環境を創る

オレの仕事 腹を決めた選手とのインタビュー 来季への準備 ブレることなくまいります


ご質問 問い合わせなどは ココ


charipro SeijiSaito
Official website:http://www.charipro.com/

20241002

Mission|ミッション


オペラやミューカル 劇場でシャンパン 東京以上に飲み歩きを覚えた

片道チケットで「3年」行き来を含め「5年余り」海を渡った スポンサーと支援者のサポートを受け単身 BigBoxに自転車を詰め込み渡航 アリタリア カンタスでも 時間が掛るフライト 隣の席の外国人と話しを交わし「何しに来た?」聴かれ 仕事で自転車レースをしに来た『でも伝手がある訳ではない』そんな会話 上手とは言えない言語でも話しは弾んだ

初めて降りたつ空港で とりあえず予約してある宿泊施設までの交通機関を確認していると 機内で知り合った地元の住人が雑誌を持ってきてくれて「ここに自転車屋が載っている」と(住所と電話番号なんか)巡り合った人間関係(まだスマホもネットもない時代)オレは運が良いとマジ勢いが湧く

1泊「1000円」ドミトリーな宿泊施設 とりあえず辿り着き一息はつけた 早く脚をまわしたい衝動 BigBoxをすぐに開け自転車を組み 走りに出る 八重洲ブックセンターで購入していた地図 事前に練習コースを決めていたので迷うことなく走り出す この日から始まる生活に緊張と開放感 でも「どうやってレースに出たらいいのか」これからの作業になる訳だが 不安を感じることは全くなかった

翌日に自転車屋さんを巡った ショップに訪れると オレが子供の頃に通っていた店と同じでい心地の良い店内と店主「日本から来て練習相手を探している」と相談すると(もちろんキャリアを問われ回答をした)「朝7時ココにみんな来るから行ってみろ」って教えてくれた またレースに出たいとも話しをすると ショップの掲示板にベタベタとレースの情報が紙ベースで貼られていて 用紙の下の方に電話番号が書かれたビラビラがあって「ちぎって持って行け」みたいな ショップの店主は そこに問い合わせろって 

この当時のカテゴリー「1.2.3.」だけ 当然「1.」はプロ オレが出られるレースは「3.」からになるんだけど レースには各カテゴリーのレースだけではなく「1.2.レース」「2.3.レース」もあったりと 1dayレースと 4日間のステージレースとかもあって ステージレースは「1日だけの参加もOK」 木曜 金曜 土曜 日曜日のステージレース 木曜金曜は午後3時頃から60~80㎞程度の街中レース 土曜日曜は丘陵地帯を含む120~140㎞ カテゴリー別に誰でも参加できる

この日からすぐに スケジュールを組む 月曜日をOFFに定め 火曜水曜日は課題の調整練習を組み(木金土日)「4日のレース」何週か繰り返し すぐにレースに慣れ 地元の友人もでき それほど時間を掛けることなく「1.2.」レースを走るようになった

『ステーレースは「3日目」がイチバンキツイ』ここから始まる自転車レースの基礎 世界共通の認識 まあ厳しい練習を繰り返してきている選手であれば「なるほど」そんな程度なんだけど 自転車レースは「疲労との闘い」(まあ自転車選手だけではないんだけど)ココから身に着けることができないと選手は始まらない 

まあでも 夜な夜なバーへも通う日々も身に着けた


けっきょく負け切ることなく でも勝ち上がることもできず ネットワーク持たず単独での活動 限界とは思わなかったけど やっぱちょっとは感じたのか 帰国 でも未練にも至ることもなく 戻った東京(Porsche)928を乗り回し半端な生活が続き少し荒廃していたかな

そんな時期だったか 専門誌の電話インタビュー 話の流れで「これからは自転車レースを教える」と答えたことを覚えている いま考えてみると「水面の底」探り始めていたのかと思い出す スポーツを教える仕事って 辿り着くと日本ではまだ語られることが希少だった「パーソナルトレーナー」選手をしていたからと言って その経験だけで「スポーツを教える」などと傲慢な気持ちはなかったが 選手から指導者になる過程では「メンタルの変換」は絶対に必要な作業 気が付くまでに時間が掛かって 痛い目を見ながらのプロセス この時期の修行が現在の根源「柱」でもある 渡米したりと3年を使い修正し 2001年に縁がありチャック(Charles Kent Wilson)さんのインタビューから 民間のジムとパーソナルトレーナーとして契約 自転車界とは完全に離れ トレーナーとしての修行が始まった 

「10年間」自転車レース界から全く別な世界での活動(修行)そのプロセス(過程)で 2回目のジムとの契約 より優秀なパーソナルトレーナーが在籍するジムへ移籍することにした まあ「道場破り的」自信を証すため 当時ボディービルディング系のパーソナルトレーナーが主流で売り上げも上げていた時代 エンデュランス系のスポーツ選手出身で鶏ガラのような痩せたトレーナーでは ボディービルディング系のトレーナーからは露骨にバカにされた現場 30人余り猛者のトレーナーが契約するジムで実力勝負 まあ自ら臨んだ環境 3か月で売り上げはイチバンになる

この時期まだ(練習)「2000㎞程度/月」乗り込んではいたかな

本業へ戻るべく トレーナーとしての職業に自信が着いてきたころ 2008年から「サイクリングの解剖学」「サイクリストの運動生理学」セミナーを開催 思った以上に多くの皆さんに来てもらえた 自転車レース界へ戻るべき活動のキッカケにはなったんだけど ただ10年の空白 時代は完全に新しい世代が 新しいスポーツ 新しいコミュニティーができていて かつていた環境とは別世界と思わせる環境 レースの現場に戻る以前に「オマエは誰」ココから始めなければならない現状に愕然だった

仕組みと理論 誰と闘っても説き切る知識と技術 アップデートし続ける


2024年現在 山中湖サイクリングチームのポーツデレクター レース会場へ通い 我が物顔で振る舞う

育成チームとして「一定の成果」結果を出してきている 日本のジュニア(連盟)事情から チームに加入できない(チームジャージを着ることができない)選手の育成も請けている「勝ち方を教える」聴きに来ない選手へ指導はできない訳で また強くなるための指導をしても「やるのは選手」こうすれば強くなるって教えて『言うことを聴く』プロセスは至ってシンプル 極々育成 責務なのかと

これまで通り 尖っていく


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