20170729

指導者の才能

もろもの「仕組み」イマイチだよね ぬるく安定? いまさらだけど・・・

欧州のレースをプロカテゴリーで走る日本人選手 国内選手権で手も脚も出ず キレなく際立つところない走りは その証を語られることがないのは何故?

たんに欧州へ行ったところで「行けば速くなる」欧州の環境で ただ(厳しい環境で)走っているだけで速くなっていく理由はなく そんな単純なことで速く走れるようになるほど自転車レースは ぬるくない・・・ 昨今「強くなる前に欧州へ渡る」 そんな事情も常識的な現状 ボク的には とっても良いことであるとは想っているんだけど 肝心な『厳しい走りで自ら臨む』そんな想いを一緒に持っていっていないことが とっても残念なことだと感じている 「そもそもの才能」以前に『強い信念と強気の走り』 ここからでないと なにもかもが始まらないんだ

強気の走りで勝ち上がる
http://charipro.blogspot.jp/2017/06/blog-post.html

国内でも アンダーの選手を欧州へ派遣しているチームも 若干複数 確立されてきていて(?) なかなか結果につながっていない理由 各所で抱える多くの課題 それぞれで試行錯誤していることだろう まあ僕のところは そんなところへ送り込む選手を創ると場所 なので「チームではなく 練習するところ」 肝心なマインドと その走りも 間違わないよう身に着けさせるところ『速いチームで走れるように』そんな位置づけ!

コーチ トレーナー 共に修行をしてきていて (国内の自転車レースの環境へ)戻ってきて感じる違和感? 痛感する温度差? やっぱ国内の自転車レースの環境って「時代遅れ?時代錯誤?」 アメリカの州と化した超先進国なのに ことスポーツとしたカテゴリー 特に自転車レースに関しては 気が遠くなるほどの後進国な状況 進んでいくどころか後進?後退?している(泣) そう『指導者』と言った言葉の意味と重さ 肩書ではない『実力』 指導者だって 結果を生み出すことができないのなら「最初のヒトコマを埋め尽くす」ができていない証なんだ 指導者の側だって 最初のヒトコマが身に着いていなければ まったく話しにならないことは言うまでもなく 僕たちの立場での仕事は 選手の将来を左右する仕事なので その責任は測り知れないことも言うまでもなく プロの言葉に「一生懸命やっている」などと言ったグズはできず 「結果を出すこと」以外に言葉はいらない! だから 「選手の才能」などと言った意味不明な言語は存在しなくって 僕の眼の前にいる選手 僕の声を聴きに来る選手へ 僕のすべての才能を使い指導する 指導とは『指導者の才能』 ボクはそう考えている

魅ているところが一緒なら (指導する側)一緒にやっていけばいいって 僕はそう想っているんだけど きっとなかなか? でも現況の責任の一途は 間違いなく僕らの世代が伝承できていないツケでもあって 認め戒めなければならない

近い未来に協調できるよう 己の才能を研ぎ磨き 結果を生み出し アップデートしてまいります


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