20140711

テレカンで・・・!

今夜の肴は これから始まる 「地獄と夢」(笑)

どぶ川を 泥水を飲みながら 焼け跡を素足で歩いて でも 自分で選んで決めてきた路・・・ 17歳になった時のこと!

僕の時代は 国内での 自転車のプロは 「競輪選手」の道しかなくって 日本で 「ロードのプロになる」って 夢物語であった

ネットのない時代 サイクルスポーツ 自転車競技マガジン ニューサイ(サイクリング)と 紀伊国屋でたまに Bicisport を 紙がすり減るくらい何度も見返していた

心の中で 漠然としていた想いを 現実的に考えなきゃいけない時期が来ていた・・・ 家族は 間違いなく 「競輪選手」の道へ進むと思っていて そんな家族の想いとは 自分が考えていることと違うことに 正直に迷ってもいた・・・ 当時から 入り浸っていた(お世話になっていた) 駒沢のエノモトサイクルへ そんな想いを正直に相談していたんだ

そのころ 僕の環境は 本当に恵まれていて エノモトへ行けば 山宮さん(山宮 正さん)がいて 毎晩行われている駒沢公園での練習では ホタルレーシングの面々 その中には 全日本選手だった田辺さん(カラビンカの田辺昭夫さん)とも一緒に練習してて みんな 僕の相談を聞いてくれてて・・・

「ロードのプロになりたい」 って言ったって いきなり欧州へ渡る選択は 経済的な問題 またそれ以前に そんな経路は 無理だった(?) ってことは 路は2つ しっかり勉強して進学し 就職して そのかたわら 「趣味として」 できる限り レースをする・・・ これが 通常ではベストな選択?(今の国内 この方たちが 自転車界のヒーローですよね(笑) 嫌味ですが!フフ)

そして 当時 マジ マイナーだった 「実業団チーム」 ようは 自転車メーカーさんが持つ 自転車部へ 会社へ入社し所属する・・・ 強いチーム 大きなメーカーさんチームでは レースに掛かる費用 経費はもちろん 「練習時間」を 従事しながら 仕事としてもらえる待遇がある・・・ でも 待遇の良いチームへは 『入りたい』って言って 入れてくれるほど 甘い世界ではない! 勝ち上がって 成績を残し 結果を創り続ける 「選手の仕事」を続けることができる 選ばれた者だけがいられる場所であることは 充分に解っていた

高校3年の時には 当時は年齢制限がなかったので 全日本にも 何人かの高校生も選抜されてて 修善寺(正周り)16周 僕も出場して完走くらいはしていた なので 国内でのレースの状況 レベルは 自分なりに解っていたことと このレースで 勝負に絡める走りをするためには 何をしなくてはいけないかって よく理解し 解っていた

人と同じこと 普通の生活をしていては 並大抵なことでは 勝負になんかならない そう 国内でも トップに君臨するには 日々の練習 疲れと闘い ガマンや 犠牲にしなければならないこともたくさんあって 勝ち抜き 勝ち上がって そんな生活を 一生続ける 揺るぎない覚悟を身に着けることが そのずっと先に 「プロ」への路はあるって・・・ じゃ 僕は 『どおする』って 自分に聞いてみて 本当に ぼくにできるのかって 何度も心に問い掛けてみたんだけど 帰ってきた自分の回答は 明確だった

家族には 『ロードのプロになるから・・・』 って告げると 「なんで競輪へいかないの?」って それと マジで 「なんでサラリーマンになるの?」 「プロじゃないじゃん・・・」 なんてあったけどぉ~ でも この時から そう いま現在まで 僕の大切なサポーターです(感謝!) 

さて 今度は・・・

こんな話をすると いま僕のまわりには そんな 僕の歩んできた その近所の路を歩んできた奴らも 少なくなくって まだ エノモトオヤジまでにはいかないけど そんな場所に 僕たちはいるのではないかと思うんだ 僕はまだ 自身を伸ばしたいとも思うけど 家族をはじめ 多くのみんなに育ててもらって この位置まで来たことを絶対に 決して忘れてしまってはいけないんだ そう 忘れてはいけないってことは 今度は 僕らの番ってことなんだよねぇ~

昨日 ジュニアの選手の 電話ミーティングで 多くのことを 聴いているうちに 僕の これまでの路を 支えてくれたみんなの姿が浮かんできました さて 僕たちの順番です! 楽しい仕事が またひとつ!はじまります・・・ ん~ こんな楽しい仕事 そう簡単には やめられませんねぇ~ フフフ


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